2018年 12月 16日
郷里の名を冠したカメラ ミハマシックス S
その名は「ミハマシックス」。
伊豆出身者にカメラを作った人が二人いたとは。
ひとりはマミヤ光機の創業者、間宮精一。以前記事にもしました。
そしてもう一方を調べると、杉江吉三、この方。
明治34年三浜村子浦に生まれ、子供の頃から器用であったが、少年時代木から落ちて足が不自由に、素潜りで鼓膜を破り難聴となりハンディを負う人生が始まります。
小学校卒業後、東京に出て飾り職につき、その後、飾り職に飽き足らずプレス加工にも手を出し、独立後は自動車部品を作るようにもなります。
ある日、カメラメーカーから腕を見込まれて難しい部品の注文を受けるようになるとその後はカメラの部品製造に傾注。
吉三の好奇心は留まることを知らず数人の職人と共に寝食を忘れ自社のカメラの製作に没頭します。
そして出来たのが三浜精工「ミハマシックス」です。
ミハマシックスの登場は昭和27年セミ機(中判フィルム4.5x6)から始まったようですが、28年には4.5x6、6x6判兼用のⅡ型となり、29年にはⅢ型、資料からはⅣ型A型も確認され、写真のカメラは「ミハマシックス S」。
ネットでは昭和29年発売の記載もあるのですが、わたしの推測ではⅣ型以降のカメラとなり昭和30年頃の発売ではないかと思っています。
幼くして東京に出て、故郷への思いは強く、その地名をカメラと会社の名に記した杉江吉三さんを偲んで、ジャンク品ではありますが、比較的程度の良いものを自分のコレクションに加えました。
尚、レンズの状態はまずまず。コパルのシャッターも測ったわけではありませんが、そこそこ働くようです。
ただ、ヘリコイドは固着し回りません。この先取付のネジが回れば分解して、修理まで出来たら良いなと思っています。
しかしその前に下手な分解して元に戻らなくなると拙いので、先ずは記念に写真をパチリ。
三浜精工はその後残念ながら倒産。しかし、ミハマの名を復活させた会社があります。
吉三さんの息子さんが創業した「ミハマ技研」です。
企業の連続性はないとのことですが、今もミハマの名を背負って頑張っているようです。
(記事はミハマ技研株式会社のHPを参照させていただきました。)
/α7m2
備忘録
三浜精工:東京都荒川区尾久町(当時)
下請け大同精工(高崎)(農家)1952 1953ダイドーシックス ーー> 高峰光学1954ミネシックス、1957ミネシックススパー66セレン露出計(この型を最後に終焉)
四畳半メーカー
ヘリコイドグリス:ポマード マジックリンで溶ける
by silvergray2
| 2018-12-16 17:41
| 時代